アンディスカバード エクスプロイト
undiscovered exploit
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店内に入り案内に従って席につきコーヒーを頼んだところで、ようやく直江は天満からの封筒を小松に手渡すことができた。
ところが小松はそれをテーブルに置いて、開けようともしない。
「返事を貰うよう言われている」
と催促してみると、全然別の答えが返ってきた。
「アンタ、訛りがないな。どこの生まれだ」
「……………」
やはり街に出ている隊士たちは、鋭い。砦にいる者たちとは少し違う緊張感がある。
本日二度目の質問に、直江は慌てることなく応えることが出来た。
「長いこと東京で働いていたからだろう」
「へえ、何をしてたんだ?」
「不動産関係だ」
それを聞いた小松は明らかに気色ばんだ。
「投機なんかにも詳しいか」
「……多少ならな」
小松は急に親しげになって話を進めていく。
「不動産投資に興味を持ってる知り合いがいるんだ。興味ないか」
そしてここが一番重要だというように、声を低くして言った。
「稼げるぞ」
資産運用やマネジメント業にも熱心な照弘のお陰で、金融商品、不動産系の投資信託には多少の心得はあった。
だがもう数年前の知識だから、勘を取り戻すのには時間がかかるだろう。
しかし敢えてそこには触れずに話を続けることにした。何とか小松自身の情報を引き出したい。
「それは赤鯨衆の活動の一環として言っているのか?」
「いや、個人的なものだ」
悪びれもせずにそう言う。あきれてしまった。
「個人で金を稼いでいるのか」
元金が赤鯨衆のものだとしたら、立派な横領ではないだろうか。
「カタいこと言うなよ。おやっさんたちには充分な額を渡してる。残ったものをどうしようが俺の勝手だろ」
ここにも赤鯨衆のユルさが現れているな、と思った。
「俺がマワしてるカネはさ、赤鯨衆のカネだけじゃあないんだよ。あるツテがあってさ、そいつらのシノギも任されてるワケ」
先程事務所にいたのは、そのツテ関係の男たちなのだろう。まさかそっちからも横領しているのだろうか。だとしたらもう、赤鯨衆の活動の域を超えている。単なる個人的な、しかも違法な金儲けだ。それとも、その金儲けをも、赤鯨衆は許容しているのだろうか。
どちらにしても、犯罪に加担する気はない。
「俺は遠慮しておく」
「そうか。欲が無いんだな」
そうではない。欲の向けどころが小松とは違うのだ。
逆に言えばこの男の欲は、金に向いているということだろう。目的がはっきりしている分、天満よりも扱いやすいのかもしれない。
少し、探りを入れてみることにした。
「お前も標準語なんだな」
「……ああ。出身はこっちだが、高校が東京で向こうの寮に入った。関西弁ならともかく、土佐弁じゃあ馬鹿にされるからな」
あまり思い出したくないのか、口のすべりが悪い。
「赤鯨衆には長いのか」
話題を変えてみると、今度はぺらぺらと喋り始めた。
「おやっさんほどじゃあない。オレはあの人に拾われたんだ」
まだ机の上に置かれたままの封筒を、直江に見せる。
「何だと思う?」
直江が首を振ると、笑いながら言った。
「くっだらない手紙だよ。飯は食ってるかとかそんなことが書いてある」
手にした封筒でパシパシと掌を打つ。
おやっさんは俺の親のつもりでいるんだよ、と小松は言った。
何でも、小松は死んですぐは霊体のまま彷徨っていただけだったそうだ。たまにちょっとした悪さをするような、殆ど害のない地縛霊。けれどある日突然、目覚めると憑依していた。
「このカラダに入った時のことは全然覚えてない。気が付いたらこのナカにいたんだ。困ったよ、ほんと」
腹を空かしながらとりあえずホームレスのような生活をしていたところ、天満に拾われたそうだ。
「おやっさんはとにかく人が良くてさ。宿無し連中に差し入れなんかもしてたワケ。そんで俺とも知り合ったんだけど、初めて会った一言目がさ、"おんし、一度死んじょったことがあるやろう"だよ」
その時のことを思い出したのか、本当に楽しそうに笑った。
「赤鯨衆ってのがあるから入れって言われてさ。俺も公園に寝泊りしてたってしょうがないから、仕方なくついてってさ」
最初は前線付近の補給班に回されたそうだ。
「戦闘なんかに参加したりもしたんだけど、全然ダメ。俺には戦争の才能はないね。まわりの奴らとも全くソリがあわなかったしね」
直江も日吉砦で数日を過ごしただけだが、確かに独特のノリを受け入れるのに手間取った。直江ですらそうなのだから、街育ちの現代っ子には辛いのかもしれない。
「で、おやっさんが見かねて調達部に引っ張ってくれたんだけど、コレがまた笑ったね。調達部とは名ばかりで、なんも調達出来て無いんだよ。あの人、カネを稼ぐ才能ってのが皆無なんだね」
それは直江にも分かる気がした。天満は間違いなく人は好いのだろうが、商才と人徳というものは全く別のものだ。
「だからオレが稼いでやってるってワケ」
小松は眼鏡を外すと、ポケットから眼鏡拭きを取り出して拭き始めた。
ところが小松はそれをテーブルに置いて、開けようともしない。
「返事を貰うよう言われている」
と催促してみると、全然別の答えが返ってきた。
「アンタ、訛りがないな。どこの生まれだ」
「……………」
やはり街に出ている隊士たちは、鋭い。砦にいる者たちとは少し違う緊張感がある。
本日二度目の質問に、直江は慌てることなく応えることが出来た。
「長いこと東京で働いていたからだろう」
「へえ、何をしてたんだ?」
「不動産関係だ」
それを聞いた小松は明らかに気色ばんだ。
「投機なんかにも詳しいか」
「……多少ならな」
小松は急に親しげになって話を進めていく。
「不動産投資に興味を持ってる知り合いがいるんだ。興味ないか」
そしてここが一番重要だというように、声を低くして言った。
「稼げるぞ」
資産運用やマネジメント業にも熱心な照弘のお陰で、金融商品、不動産系の投資信託には多少の心得はあった。
だがもう数年前の知識だから、勘を取り戻すのには時間がかかるだろう。
しかし敢えてそこには触れずに話を続けることにした。何とか小松自身の情報を引き出したい。
「それは赤鯨衆の活動の一環として言っているのか?」
「いや、個人的なものだ」
悪びれもせずにそう言う。あきれてしまった。
「個人で金を稼いでいるのか」
元金が赤鯨衆のものだとしたら、立派な横領ではないだろうか。
「カタいこと言うなよ。おやっさんたちには充分な額を渡してる。残ったものをどうしようが俺の勝手だろ」
ここにも赤鯨衆のユルさが現れているな、と思った。
「俺がマワしてるカネはさ、赤鯨衆のカネだけじゃあないんだよ。あるツテがあってさ、そいつらのシノギも任されてるワケ」
先程事務所にいたのは、そのツテ関係の男たちなのだろう。まさかそっちからも横領しているのだろうか。だとしたらもう、赤鯨衆の活動の域を超えている。単なる個人的な、しかも違法な金儲けだ。それとも、その金儲けをも、赤鯨衆は許容しているのだろうか。
どちらにしても、犯罪に加担する気はない。
「俺は遠慮しておく」
「そうか。欲が無いんだな」
そうではない。欲の向けどころが小松とは違うのだ。
逆に言えばこの男の欲は、金に向いているということだろう。目的がはっきりしている分、天満よりも扱いやすいのかもしれない。
少し、探りを入れてみることにした。
「お前も標準語なんだな」
「……ああ。出身はこっちだが、高校が東京で向こうの寮に入った。関西弁ならともかく、土佐弁じゃあ馬鹿にされるからな」
あまり思い出したくないのか、口のすべりが悪い。
「赤鯨衆には長いのか」
話題を変えてみると、今度はぺらぺらと喋り始めた。
「おやっさんほどじゃあない。オレはあの人に拾われたんだ」
まだ机の上に置かれたままの封筒を、直江に見せる。
「何だと思う?」
直江が首を振ると、笑いながら言った。
「くっだらない手紙だよ。飯は食ってるかとかそんなことが書いてある」
手にした封筒でパシパシと掌を打つ。
おやっさんは俺の親のつもりでいるんだよ、と小松は言った。
何でも、小松は死んですぐは霊体のまま彷徨っていただけだったそうだ。たまにちょっとした悪さをするような、殆ど害のない地縛霊。けれどある日突然、目覚めると憑依していた。
「このカラダに入った時のことは全然覚えてない。気が付いたらこのナカにいたんだ。困ったよ、ほんと」
腹を空かしながらとりあえずホームレスのような生活をしていたところ、天満に拾われたそうだ。
「おやっさんはとにかく人が良くてさ。宿無し連中に差し入れなんかもしてたワケ。そんで俺とも知り合ったんだけど、初めて会った一言目がさ、"おんし、一度死んじょったことがあるやろう"だよ」
その時のことを思い出したのか、本当に楽しそうに笑った。
「赤鯨衆ってのがあるから入れって言われてさ。俺も公園に寝泊りしてたってしょうがないから、仕方なくついてってさ」
最初は前線付近の補給班に回されたそうだ。
「戦闘なんかに参加したりもしたんだけど、全然ダメ。俺には戦争の才能はないね。まわりの奴らとも全くソリがあわなかったしね」
直江も日吉砦で数日を過ごしただけだが、確かに独特のノリを受け入れるのに手間取った。直江ですらそうなのだから、街育ちの現代っ子には辛いのかもしれない。
「で、おやっさんが見かねて調達部に引っ張ってくれたんだけど、コレがまた笑ったね。調達部とは名ばかりで、なんも調達出来て無いんだよ。あの人、カネを稼ぐ才能ってのが皆無なんだね」
それは直江にも分かる気がした。天満は間違いなく人は好いのだろうが、商才と人徳というものは全く別のものだ。
「だからオレが稼いでやってるってワケ」
小松は眼鏡を外すと、ポケットから眼鏡拭きを取り出して拭き始めた。
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小松の手元を見つめながら、直江が尋ねる。
「株式投資で稼いでいるんだな」
先程少し見えたあの隣の部屋が一体どんなものなのかは、なんとなく解っていた。いわゆるデイトレーディングといったような、短期の株式売買を重ねて利益を得る場合に必要な設備だ。
「デイトレっていうよりスイトレってところなんだけどね。もともと赤鯨衆はヤクザのシノギを奪うことで主に資金源としてきてた。合法的に稼ぐことにも挑戦したみたいだけど、殆どうまくいってなかったね」
調達部は大まかに三つの班に別れているのだそうだ。物資の調達、運搬を主に行う隊。合法的に資金を稼ぐ隊。そして非合法の手段で資金を稼ぐ隊。天満の隊はこれにあたる。
「おやっさんのところに来てから色々資料なんかを漁ってたらさ、合法隊が株式の口座を持ってることが分かったんだよ。でも安定株なんかを持ってるだけで、全く活用できていなかった。だからうちの隊で引き継いだんだ」
それでいまや赤鯨衆の資金の殆どを稼ぐまでになったというのだ。小松には相当の才能があるのではないのか。
「そんなんじゃなくってさ、株で安定した収入を得ようと思ったら何よりも資金力。いまや個人投資家が儲けようと思ったところで厳しいってことは市場の流れを見てれば解ったし、特別な情報を手に入れる手段も俺は知ってたから」
「特別な情報?」
「そう。安っぽく言えば裏情報」
仕手筋や投資顧問といった人々が作る人工的な流れは間違いなく存在する。問題はその情報をどの段階で手にすることができるか、だそうだ。
「で、ヤクザに取り入ることにした訳」
最近のヤクザも、楽には稼げなくなっている。そこへ赤鯨衆が現れてシノギを根こそぎ奪っていったせいで、壊滅寸前まで追い込まれていた団体もあったそうだ。
「そこにつけ込んで取り入ったら、うまくいったんだよね。今はある組の幹部連中の資金をまとめて運用してる」
小松は外していた眼鏡を掛けなおした。
「動かす額が半端ないから、ほんのわずかな変動でものすごく損もするしものすごく儲けられる。まじめに働くのが馬鹿みたいに思えるよ」
しかも"裏情報"をかなり早い段階で耳に出来る。彼らの情報網に間違いはないそうだ。
「誰もヤクザを騙そうなんて思わないしね」
だからこそ、一歩間違えればトラブルに巻き込まれかねない。所詮カタギではない訳だし、やっていることもインサイダーと変わりがない。
今は元手が充分にあるのだから、危険なことからは手を引いたほうがいいのではないだろうか。直江は、ただ単に情報を集めるだけならば、もっと他にいい手段を知っていた。
「諜報班を使えばいい」
赤鯨衆の諜報班は、かなり使える者たちだと直江はみている。一蔵からの情報だけでなく、自分の目で確認した機密管理の手順などから、そう判断した。
しかも傀儡子という単独のエージェントが全国規模で展開しているというではないか。彼らを使えばきっと、もっと確実で危険の少ない情報が手に入るのではないか?
「あいつらは戦争のことばっか。金がどれだけ重要なのかわかってないんだよ。馬鹿だよな。この世では金がさえあれば、身分なんて関係なく勝つことが出来るのに」
「……………」
その話の内容はともかく、直江は天満と話していた時と同じような違和感を抱いた。死霊の癖に、何に恨みがあるだとか生前はこうだったといった話がまったく出てこない。
不思議な気分だった。今も生きている普通の人間と話しているようだ。
だから余計に死因に興味が沸いた。
「何故お前はこの世に残ったんだ?」
小松はすぐには答えなかった。
「何でそんなとが聞きたいんだよ」
「興味がある。自分もいつか経験することだ」
小松は視線を彷徨わせながら、苦々しく言った。
「さあな。残ろうと思って残った訳じゃない」
それが本心なのか誤魔化しなのか、直江には判別出来なかった。
「最近のことか」
「……死んでからはもう10年近く経つ」
「10年」
「そう」
眼鏡の奥の瞳が不思議な色を湛えていた。
「バブルと一緒に、オレの命もはじけたのさ」
「株式投資で稼いでいるんだな」
先程少し見えたあの隣の部屋が一体どんなものなのかは、なんとなく解っていた。いわゆるデイトレーディングといったような、短期の株式売買を重ねて利益を得る場合に必要な設備だ。
「デイトレっていうよりスイトレってところなんだけどね。もともと赤鯨衆はヤクザのシノギを奪うことで主に資金源としてきてた。合法的に稼ぐことにも挑戦したみたいだけど、殆どうまくいってなかったね」
調達部は大まかに三つの班に別れているのだそうだ。物資の調達、運搬を主に行う隊。合法的に資金を稼ぐ隊。そして非合法の手段で資金を稼ぐ隊。天満の隊はこれにあたる。
「おやっさんのところに来てから色々資料なんかを漁ってたらさ、合法隊が株式の口座を持ってることが分かったんだよ。でも安定株なんかを持ってるだけで、全く活用できていなかった。だからうちの隊で引き継いだんだ」
それでいまや赤鯨衆の資金の殆どを稼ぐまでになったというのだ。小松には相当の才能があるのではないのか。
「そんなんじゃなくってさ、株で安定した収入を得ようと思ったら何よりも資金力。いまや個人投資家が儲けようと思ったところで厳しいってことは市場の流れを見てれば解ったし、特別な情報を手に入れる手段も俺は知ってたから」
「特別な情報?」
「そう。安っぽく言えば裏情報」
仕手筋や投資顧問といった人々が作る人工的な流れは間違いなく存在する。問題はその情報をどの段階で手にすることができるか、だそうだ。
「で、ヤクザに取り入ることにした訳」
最近のヤクザも、楽には稼げなくなっている。そこへ赤鯨衆が現れてシノギを根こそぎ奪っていったせいで、壊滅寸前まで追い込まれていた団体もあったそうだ。
「そこにつけ込んで取り入ったら、うまくいったんだよね。今はある組の幹部連中の資金をまとめて運用してる」
小松は外していた眼鏡を掛けなおした。
「動かす額が半端ないから、ほんのわずかな変動でものすごく損もするしものすごく儲けられる。まじめに働くのが馬鹿みたいに思えるよ」
しかも"裏情報"をかなり早い段階で耳に出来る。彼らの情報網に間違いはないそうだ。
「誰もヤクザを騙そうなんて思わないしね」
だからこそ、一歩間違えればトラブルに巻き込まれかねない。所詮カタギではない訳だし、やっていることもインサイダーと変わりがない。
今は元手が充分にあるのだから、危険なことからは手を引いたほうがいいのではないだろうか。直江は、ただ単に情報を集めるだけならば、もっと他にいい手段を知っていた。
「諜報班を使えばいい」
赤鯨衆の諜報班は、かなり使える者たちだと直江はみている。一蔵からの情報だけでなく、自分の目で確認した機密管理の手順などから、そう判断した。
しかも傀儡子という単独のエージェントが全国規模で展開しているというではないか。彼らを使えばきっと、もっと確実で危険の少ない情報が手に入るのではないか?
「あいつらは戦争のことばっか。金がどれだけ重要なのかわかってないんだよ。馬鹿だよな。この世では金がさえあれば、身分なんて関係なく勝つことが出来るのに」
「……………」
その話の内容はともかく、直江は天満と話していた時と同じような違和感を抱いた。死霊の癖に、何に恨みがあるだとか生前はこうだったといった話がまったく出てこない。
不思議な気分だった。今も生きている普通の人間と話しているようだ。
だから余計に死因に興味が沸いた。
「何故お前はこの世に残ったんだ?」
小松はすぐには答えなかった。
「何でそんなとが聞きたいんだよ」
「興味がある。自分もいつか経験することだ」
小松は視線を彷徨わせながら、苦々しく言った。
「さあな。残ろうと思って残った訳じゃない」
それが本心なのか誤魔化しなのか、直江には判別出来なかった。
「最近のことか」
「……死んでからはもう10年近く経つ」
「10年」
「そう」
眼鏡の奥の瞳が不思議な色を湛えていた。
「バブルと一緒に、オレの命もはじけたのさ」
話がひと段落すると、小松はやっと天満からの手紙に眼を通し始めた。
そして読み終わった手紙の裏に返事らしきものを書き、またもとの封筒に戻して直江に差し出した。
「これ、渡してくれ」
受け取った手紙を直江がしまっていると、ちょうど店内へ入ってきた若者がこちらへ近づいてきた。
「小松さん」
色の抜けた短い髪に着崩したスーツ姿でチンピラ風の憑依霊だ。天満は小松が単独で動いていると言っていたが、仲間がいたのだろうか。
「おお、ヒロキ。調子はどうだ」
親しいらしい小松は手をあげると、
「今行くから外で待っててくれ」
と言って立ち上がる。
若者は言われるがまま入り口へとUターンして、店を出て行った。
「赤鯨衆の人間か?」
会計へと向かいながら小松に訊く。
「いや、あいつは町でひろった現代霊だ。……あの宿体、誰だと思う?」
意味深に問い返されるが知る訳もない。首を振ると、
「今、カネを稼いでやってる組の、先代の息子だよ」
と、得意気な答えが返ってきた。
「最初は取り入るツテに使うだけのつもりでヒロキに憑いてもらったんだけど、"お坊ちゃんは催眠術で俺の言うことだけを聞くようにしてある"って言ったら、ヤツら信じ込んじゃってさ。都合がいいからそのままにしてる。報酬の交渉なんかでヤツらが渋る時は、この話を持ち出せば一発なんだ」
つまり人質ということだ。
「そんな強引なやり方では危険じゃないか?」
「まあな。けど、おかげでホントに楽に仕事ができるんだ」
小松は笑ったが、直江は笑わえなかった。トラブルの元を自分で作っているようなものだ。
店の外に出て、小松とはそこで別れることになった。
「じゃあ、天満のおやっさんによろしく」
小松はそう言うと、ヒロキという若者を連れて事務所へと戻って行った。
それを見送った直江も、後は天満の元へと帰るだけだ。
しかし思うところがあって、隣に建つビルの影に身を潜めた。
そして案の定、怪しい男がひとり店から出てきた。実は自分達より少し遅れて入店し、直江の背後の席に座った男がいたのだ。
歩き始めた男の後を気付かれぬよう尾けていくと、小松の事務所の様子が伺える格好の場所に黒塗りの車が停められており、男はそれに乗り込んで、そのまま発進する気配はない。
事務所内にいたふたりの仲間なのか、それとも全く別の団体の人間なのかは解らないが、小松をマークしているのだろう。先程の会話も全て聞かれていたに違いない。どういった事態に陥っているのかまではわからないが、直江の眼には一触即発といった雰囲気にみえる。じきに大きなトラブルに発展するのは間違いない。
(さて、どうするか)
ありのままを天満に報告するのか?
これはただ小松の憑坐が危険に晒されるとかそういう問題だけでは済まない。小松の稼ぎがなくなれば、赤鯨衆の収入が一気に減るということだ。
(放っておいてもいい)
赤鯨衆の資金が底尽きれば、まず憑依霊たちは憑坐を手放さねばならないだろう。霊体でいる限りは金がかからずに済むからだ。
しかし、肉体を失うことに抵抗する者が必ず出てくる。中にはそれを理由に敵方に寝返る者もいるだろう。一気に戦況は悪化する。
赤鯨衆が自滅してくれるなら、それはそれでいい。
いい気味だ、と思う。
直江の中には、独占欲に似たわだかまりがずっとあった。
さっさと潰れてしまえばいい。自分の知らない高耶を知る者達など。出来ることなら全員を調伏して亡きものにしてしまいたい。
だいたい高耶も自分の元を離れてなぜこんな人間達と一緒に居るのか。意味が分からない。自分を捨ててまで共にいる価値のある人間達だというのか。
気がつくと、赤鯨衆のアラを必死に探す自分がいた。馬鹿馬鹿しいと自分でも解っている。ここまできて、自尊心を守るのに必死なのかと、もう漏れる笑いも無い。
そう、もうここまで来ているのだ。
すぐそこに高耶がいるというのに。もどかしくてしょうがない。こんなことをしている場合ではないのだ。
地道に一歩一歩上ってきた山の頂上が、もうすぐ目の前にある気分だ。一気に駆け上がってしまいたい衝動に駆られる。
けれど、同時に不安も覚える。足を踏み外して転げ落ちやしないか。いざ頂上についてみたら、そこは頂上ではなくまだ山の中腹だったとしたら。
(……………)
独りになるといつもこうだ。不毛だとわかっているのに考えてしまう。もっと理知的に考えなくては。それこそ時間の無駄だ。
頭を振って要点を整理する。
今回新たに手にした赤鯨衆の情報はどんなものだったか。様々な面があった。強い部分もあれば脆い部分もある。持てる頭脳を総動員して、これから自分が取るべき行動を決めなくてはいけない。
選択肢は二つ。
今すぐ脆さを突くか、弱みとして握っておくか。
直江は迷っていた。
どちらがベストな選択か……。
決断するのに、天満の存在がネックになっていると思った。
直江にはあの男が理解し難い。
憑依霊とはそもそも、何かしらの目的があるはずなのだ。だからその目的を達成する為に、社会活動を行い、人とも関わりを持つ。
けれど天満の目的が直江には読み取れなかった。社会奉仕?利他主義?
小松のほうがまだわかりやすい。
理解もせずに潰してしまうのは、何か違うような気がした。
だからもう一度、彼と話してから決めようと思った。
そして読み終わった手紙の裏に返事らしきものを書き、またもとの封筒に戻して直江に差し出した。
「これ、渡してくれ」
受け取った手紙を直江がしまっていると、ちょうど店内へ入ってきた若者がこちらへ近づいてきた。
「小松さん」
色の抜けた短い髪に着崩したスーツ姿でチンピラ風の憑依霊だ。天満は小松が単独で動いていると言っていたが、仲間がいたのだろうか。
「おお、ヒロキ。調子はどうだ」
親しいらしい小松は手をあげると、
「今行くから外で待っててくれ」
と言って立ち上がる。
若者は言われるがまま入り口へとUターンして、店を出て行った。
「赤鯨衆の人間か?」
会計へと向かいながら小松に訊く。
「いや、あいつは町でひろった現代霊だ。……あの宿体、誰だと思う?」
意味深に問い返されるが知る訳もない。首を振ると、
「今、カネを稼いでやってる組の、先代の息子だよ」
と、得意気な答えが返ってきた。
「最初は取り入るツテに使うだけのつもりでヒロキに憑いてもらったんだけど、"お坊ちゃんは催眠術で俺の言うことだけを聞くようにしてある"って言ったら、ヤツら信じ込んじゃってさ。都合がいいからそのままにしてる。報酬の交渉なんかでヤツらが渋る時は、この話を持ち出せば一発なんだ」
つまり人質ということだ。
「そんな強引なやり方では危険じゃないか?」
「まあな。けど、おかげでホントに楽に仕事ができるんだ」
小松は笑ったが、直江は笑わえなかった。トラブルの元を自分で作っているようなものだ。
店の外に出て、小松とはそこで別れることになった。
「じゃあ、天満のおやっさんによろしく」
小松はそう言うと、ヒロキという若者を連れて事務所へと戻って行った。
それを見送った直江も、後は天満の元へと帰るだけだ。
しかし思うところがあって、隣に建つビルの影に身を潜めた。
そして案の定、怪しい男がひとり店から出てきた。実は自分達より少し遅れて入店し、直江の背後の席に座った男がいたのだ。
歩き始めた男の後を気付かれぬよう尾けていくと、小松の事務所の様子が伺える格好の場所に黒塗りの車が停められており、男はそれに乗り込んで、そのまま発進する気配はない。
事務所内にいたふたりの仲間なのか、それとも全く別の団体の人間なのかは解らないが、小松をマークしているのだろう。先程の会話も全て聞かれていたに違いない。どういった事態に陥っているのかまではわからないが、直江の眼には一触即発といった雰囲気にみえる。じきに大きなトラブルに発展するのは間違いない。
(さて、どうするか)
ありのままを天満に報告するのか?
これはただ小松の憑坐が危険に晒されるとかそういう問題だけでは済まない。小松の稼ぎがなくなれば、赤鯨衆の収入が一気に減るということだ。
(放っておいてもいい)
赤鯨衆の資金が底尽きれば、まず憑依霊たちは憑坐を手放さねばならないだろう。霊体でいる限りは金がかからずに済むからだ。
しかし、肉体を失うことに抵抗する者が必ず出てくる。中にはそれを理由に敵方に寝返る者もいるだろう。一気に戦況は悪化する。
赤鯨衆が自滅してくれるなら、それはそれでいい。
いい気味だ、と思う。
直江の中には、独占欲に似たわだかまりがずっとあった。
さっさと潰れてしまえばいい。自分の知らない高耶を知る者達など。出来ることなら全員を調伏して亡きものにしてしまいたい。
だいたい高耶も自分の元を離れてなぜこんな人間達と一緒に居るのか。意味が分からない。自分を捨ててまで共にいる価値のある人間達だというのか。
気がつくと、赤鯨衆のアラを必死に探す自分がいた。馬鹿馬鹿しいと自分でも解っている。ここまできて、自尊心を守るのに必死なのかと、もう漏れる笑いも無い。
そう、もうここまで来ているのだ。
すぐそこに高耶がいるというのに。もどかしくてしょうがない。こんなことをしている場合ではないのだ。
地道に一歩一歩上ってきた山の頂上が、もうすぐ目の前にある気分だ。一気に駆け上がってしまいたい衝動に駆られる。
けれど、同時に不安も覚える。足を踏み外して転げ落ちやしないか。いざ頂上についてみたら、そこは頂上ではなくまだ山の中腹だったとしたら。
(……………)
独りになるといつもこうだ。不毛だとわかっているのに考えてしまう。もっと理知的に考えなくては。それこそ時間の無駄だ。
頭を振って要点を整理する。
今回新たに手にした赤鯨衆の情報はどんなものだったか。様々な面があった。強い部分もあれば脆い部分もある。持てる頭脳を総動員して、これから自分が取るべき行動を決めなくてはいけない。
選択肢は二つ。
今すぐ脆さを突くか、弱みとして握っておくか。
直江は迷っていた。
どちらがベストな選択か……。
決断するのに、天満の存在がネックになっていると思った。
直江にはあの男が理解し難い。
憑依霊とはそもそも、何かしらの目的があるはずなのだ。だからその目的を達成する為に、社会活動を行い、人とも関わりを持つ。
けれど天満の目的が直江には読み取れなかった。社会奉仕?利他主義?
小松のほうがまだわかりやすい。
理解もせずに潰してしまうのは、何か違うような気がした。
だからもう一度、彼と話してから決めようと思った。
天満のいるアジトへ戻った頃には、既に陽が傾き始めていた。
施設内に入ると、昼間は外にいた隊士達も室内に戻り、読書やカードゲームなど思い思いに過ごしている。誰かが夕飯を作っているらしく、いい匂いがした。
パートタイムの女性陣や子供達はもうとっく帰ったようだったが、老人達が数名、まだ残って話し込んでいた。独身の老人達ばかりで、ここで夕飯を摂ってから家に帰るのだという。
その老人達の奥に、天満はいた。机に座り、事務仕事をしていた。
「おう、すまんかったのう。リストのものは全て準備できちょるき、持ってくとええ」
そう言った後で、周りに聞こえぬよう、小声で言った。
「小松はどうじゃった?」
直江は小さく頷くと、
「外で話そう」
と、天満を外へと連れ出した。
外気が、急激に冷え込み始めていた。
例の畑の手前のあたりまで歩いてから立ち止まった直江に、天満はもう一度、どうじゃった、と訊いてきた。
しばらく答えずにいた直江は、天満に向き直ると、ゆっくりと口を開いた。
「その前に、ひとつ訊いておきたい。あなたが何故、現世に残ったのか」
全く別の話を始めた直江に対して、天満は眉を上げただけだった。黙って聞くつもりのようだ。
「赤鯨衆というものは、同じ目的のために集まった人々というよりは、各々が各々の目的の達成を目指して集団行動を取っている、ということは今日一日で理解したつもりだ。もちろん大半が虐げられた怒りや恨みで戦っているのだとは思う。しかし小松は違った。ここにいる他の隊士達も違うんだろう」
これは《闇戦国》の中での新しい形といえた。
怨将の元に集まるのではなく、個人が個人であるための集団。家名も、大義名分も、ここでは不要なのだ。
「ならばあなたはどうなんだ?あなたはいったい何の理由があって、ここでこんな生活をしているんだ?」
人の魂は輪廻転生を繰り返すもの。換生者の自分が言うのもおかしいが、それが世界の理だ。
転生に逆らうのなら、それなりの理由がなければならない(理由があるからといって許されるわけではないが)。それを知りたかった。天満の理由を知ることは、赤鯨衆に対する理解を深めることのように思えた。
「神官というのは寺坊主のようなことを言うがか」
黙って訊いていた天満は、静かにそう言った。
そして、まだわずかだけ山の裾に顔を見せている夕陽に体を向けた。
「私は土佐勤王党の一員じゃった」
「勤王党……」
「ほうじゃ」
勤王党のメンバーが多くいることは聞いていた。尊王攘夷の嵐の波間に砕け散った土佐の志士達。不意にあの幕末の頃の空気が蘇る。独特の匂いのする時代だった。景虎との長い離別の末、再会した頃でもある。
「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき」
天満が突然、詠み上げた。
「おんしは、この句をどう解釈する?」
それは、直江にも聞き覚えがあった。幕末に人斬りとして名を馳せた岡田以蔵という人物の、辞世の句だ。直江に面識がある訳ではない。しかし後に文献や小説などで目にする機会があった。
覚えている限りの解釈では、"君"というのは勤王党の首である武市のことを指すというものもあれば、天皇をいうのだというものもあったはずだ。"澄み渡ったもの"が何であったのか、そこも諸説あるだろう。
だが、直江の目で見るならば。
「彼は執着を捨てて、自由になったということだろう」
直江のように、水の泡にこそ拘り続けている人間からすれば、正反対の心情だ。
天満は大きく頷いた。
「ほうじゃ」
刻々と暗くなっていく空のせいで、天満がどんな表情をしているのか、読み取れない。
「岡田の心は澄み渡った。だからすんなりと逝けたがじゃ。比べてわしは、澄み渡るなんちゅう心境とは程遠いところで死んでしもうた」
天満は顔を見せないままだ。
「わしは病死じゃった」
声の調子は怖いくらいに変わらない。
「何とも煮え切らん最期じゃった。野根山にも参加出来んかったがじゃ」
野根山とは、勤王党の弾圧が進み武市が投獄された後、23人の志士達が野根山で挙兵した事件のことだ。
「理由はたぶん、そのことじゃ。わしは、潔く死にたかったんちや。澄んだ心で死にたかったんちや」
やっと、天満が振り向いた。
「実はな、わしの身分も本来なら岡田と同じ足軽じゃった。しかし親の代でなけなしの金をはたいて"郷士"を買うたんじゃ。実は武市さんにくっついて、かの士学館に出入りさせてもらっちょったこともある」
士学館とは土佐にあった剣術の道場のことだ。
「岡田とも親しかったのか?」
「親しいちゅう程ではなかったがのう。家も近かったし、わしはよく思っていたきに、話はしちょったよ。ただ岡田はあれだけの働きをしておりながら、党内であまりいい評価は受けちょらんかった。岡田ちゅう男はな、そりゃあ賢くは無かったが………、わしは死んでもええ人間ちゅうのはおらんと思うちょるからのう」
勤王党の仲間達が次々と捕まる中、やはり同じく捕らえられた以蔵の獄中生活には、ある曰くがある。
以蔵の自白を恐れた仲間が以蔵を毒殺しようとし、その裏切りを知った以蔵は拷問に耐える事を止めて自白を決意した、というものだ。
もちろん、真相ははっきりとはしていない。
毒殺の話自体も、武市が命令を下したとか、獄外の仲間内で持ち上がった計画だったとか、服毒自殺した党員がいたことからのデマだったという話もある。
「わしも本当のところはわからん。しかし、武市さんは岡田を蔑んじょった。他の者もほうじゃ。岡田は岡田でそのことに気づいちょったと思う。牢に入れられ、獄死者が出るほどのひどい拷問を受け、それでも嫌われちょる人間のために口を割らずにいられるもんなんちゃああらせん」
以蔵は結局、斬首刑となり晒し首の扱いを受けた。その以蔵の自白が決定的となり、武市も切腹を命ぜられて息絶えている。
「武市さんは本当にすばらしい方じゃった。そのすばらしい方でも岡田の心を掴めんかっために命を落としたと言っていい」
天満の顔が皺の多い笑顔を刻んだ。
「人の世は本当に面白い。生きちゅう頃はこんな風に考えもできんかった。ただ自分のことばかりじゃった。しかし赤鯨衆で色んな人間と出会い、わしはいつまでも人の心を見ていたいと思うようになった」
冷たい風が二人の間を吹き抜けて、天満は作業着の襟をかき合わせた。
「確かに草間さんや嘉田さんのように己の目的がはっきりしちょるひとらはみていて気持ちがええ。しかしここにおる死に切れんかった理由もはっきりせん連中が、目的を持ち始める様子を見ちゅうのもまたええ。いつかわしも自分の目的をみつけて澄んだ心で逝く時が来るんじゃないんかと想像しちょったりしてな」
天満は天を仰いだ。
「もちろん永遠にこのままではおられんことはわかっちょる。けれど今はどうしても潔い死に様より、この人の世におり続けることのほうがええと思われて仕方がないんちや。やきに、今は自分の心を知りゆう時間じゃと思うことにしちょる。赤鯨衆ちゅう場がある限り、わしはそうしておってええんじゃと思っちょる」
施設内に入ると、昼間は外にいた隊士達も室内に戻り、読書やカードゲームなど思い思いに過ごしている。誰かが夕飯を作っているらしく、いい匂いがした。
パートタイムの女性陣や子供達はもうとっく帰ったようだったが、老人達が数名、まだ残って話し込んでいた。独身の老人達ばかりで、ここで夕飯を摂ってから家に帰るのだという。
その老人達の奥に、天満はいた。机に座り、事務仕事をしていた。
「おう、すまんかったのう。リストのものは全て準備できちょるき、持ってくとええ」
そう言った後で、周りに聞こえぬよう、小声で言った。
「小松はどうじゃった?」
直江は小さく頷くと、
「外で話そう」
と、天満を外へと連れ出した。
外気が、急激に冷え込み始めていた。
例の畑の手前のあたりまで歩いてから立ち止まった直江に、天満はもう一度、どうじゃった、と訊いてきた。
しばらく答えずにいた直江は、天満に向き直ると、ゆっくりと口を開いた。
「その前に、ひとつ訊いておきたい。あなたが何故、現世に残ったのか」
全く別の話を始めた直江に対して、天満は眉を上げただけだった。黙って聞くつもりのようだ。
「赤鯨衆というものは、同じ目的のために集まった人々というよりは、各々が各々の目的の達成を目指して集団行動を取っている、ということは今日一日で理解したつもりだ。もちろん大半が虐げられた怒りや恨みで戦っているのだとは思う。しかし小松は違った。ここにいる他の隊士達も違うんだろう」
これは《闇戦国》の中での新しい形といえた。
怨将の元に集まるのではなく、個人が個人であるための集団。家名も、大義名分も、ここでは不要なのだ。
「ならばあなたはどうなんだ?あなたはいったい何の理由があって、ここでこんな生活をしているんだ?」
人の魂は輪廻転生を繰り返すもの。換生者の自分が言うのもおかしいが、それが世界の理だ。
転生に逆らうのなら、それなりの理由がなければならない(理由があるからといって許されるわけではないが)。それを知りたかった。天満の理由を知ることは、赤鯨衆に対する理解を深めることのように思えた。
「神官というのは寺坊主のようなことを言うがか」
黙って訊いていた天満は、静かにそう言った。
そして、まだわずかだけ山の裾に顔を見せている夕陽に体を向けた。
「私は土佐勤王党の一員じゃった」
「勤王党……」
「ほうじゃ」
勤王党のメンバーが多くいることは聞いていた。尊王攘夷の嵐の波間に砕け散った土佐の志士達。不意にあの幕末の頃の空気が蘇る。独特の匂いのする時代だった。景虎との長い離別の末、再会した頃でもある。
「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき」
天満が突然、詠み上げた。
「おんしは、この句をどう解釈する?」
それは、直江にも聞き覚えがあった。幕末に人斬りとして名を馳せた岡田以蔵という人物の、辞世の句だ。直江に面識がある訳ではない。しかし後に文献や小説などで目にする機会があった。
覚えている限りの解釈では、"君"というのは勤王党の首である武市のことを指すというものもあれば、天皇をいうのだというものもあったはずだ。"澄み渡ったもの"が何であったのか、そこも諸説あるだろう。
だが、直江の目で見るならば。
「彼は執着を捨てて、自由になったということだろう」
直江のように、水の泡にこそ拘り続けている人間からすれば、正反対の心情だ。
天満は大きく頷いた。
「ほうじゃ」
刻々と暗くなっていく空のせいで、天満がどんな表情をしているのか、読み取れない。
「岡田の心は澄み渡った。だからすんなりと逝けたがじゃ。比べてわしは、澄み渡るなんちゅう心境とは程遠いところで死んでしもうた」
天満は顔を見せないままだ。
「わしは病死じゃった」
声の調子は怖いくらいに変わらない。
「何とも煮え切らん最期じゃった。野根山にも参加出来んかったがじゃ」
野根山とは、勤王党の弾圧が進み武市が投獄された後、23人の志士達が野根山で挙兵した事件のことだ。
「理由はたぶん、そのことじゃ。わしは、潔く死にたかったんちや。澄んだ心で死にたかったんちや」
やっと、天満が振り向いた。
「実はな、わしの身分も本来なら岡田と同じ足軽じゃった。しかし親の代でなけなしの金をはたいて"郷士"を買うたんじゃ。実は武市さんにくっついて、かの士学館に出入りさせてもらっちょったこともある」
士学館とは土佐にあった剣術の道場のことだ。
「岡田とも親しかったのか?」
「親しいちゅう程ではなかったがのう。家も近かったし、わしはよく思っていたきに、話はしちょったよ。ただ岡田はあれだけの働きをしておりながら、党内であまりいい評価は受けちょらんかった。岡田ちゅう男はな、そりゃあ賢くは無かったが………、わしは死んでもええ人間ちゅうのはおらんと思うちょるからのう」
勤王党の仲間達が次々と捕まる中、やはり同じく捕らえられた以蔵の獄中生活には、ある曰くがある。
以蔵の自白を恐れた仲間が以蔵を毒殺しようとし、その裏切りを知った以蔵は拷問に耐える事を止めて自白を決意した、というものだ。
もちろん、真相ははっきりとはしていない。
毒殺の話自体も、武市が命令を下したとか、獄外の仲間内で持ち上がった計画だったとか、服毒自殺した党員がいたことからのデマだったという話もある。
「わしも本当のところはわからん。しかし、武市さんは岡田を蔑んじょった。他の者もほうじゃ。岡田は岡田でそのことに気づいちょったと思う。牢に入れられ、獄死者が出るほどのひどい拷問を受け、それでも嫌われちょる人間のために口を割らずにいられるもんなんちゃああらせん」
以蔵は結局、斬首刑となり晒し首の扱いを受けた。その以蔵の自白が決定的となり、武市も切腹を命ぜられて息絶えている。
「武市さんは本当にすばらしい方じゃった。そのすばらしい方でも岡田の心を掴めんかっために命を落としたと言っていい」
天満の顔が皺の多い笑顔を刻んだ。
「人の世は本当に面白い。生きちゅう頃はこんな風に考えもできんかった。ただ自分のことばかりじゃった。しかし赤鯨衆で色んな人間と出会い、わしはいつまでも人の心を見ていたいと思うようになった」
冷たい風が二人の間を吹き抜けて、天満は作業着の襟をかき合わせた。
「確かに草間さんや嘉田さんのように己の目的がはっきりしちょるひとらはみていて気持ちがええ。しかしここにおる死に切れんかった理由もはっきりせん連中が、目的を持ち始める様子を見ちゅうのもまたええ。いつかわしも自分の目的をみつけて澄んだ心で逝く時が来るんじゃないんかと想像しちょったりしてな」
天満は天を仰いだ。
「もちろん永遠にこのままではおられんことはわかっちょる。けれど今はどうしても潔い死に様より、この人の世におり続けることのほうがええと思われて仕方がないんちや。やきに、今は自分の心を知りゆう時間じゃと思うことにしちょる。赤鯨衆ちゅう場がある限り、わしはそうしておってええんじゃと思っちょる」
直江は驚きを隠せなかった。
死してもなお残る情熱がこの世に留まらせている訳ではなく、死んだ後に見つけてしまった目的のために生きている。どこかで聞いたような話だ。
しかし相手は換生者ではなく、憑依霊だ。
昼間、天満自身が戦は手段であると言ったように、霊にとって憑依し生活するということは、目的のための手段であるはずなのだ。通常、死に際の想いが弱くなれば、自然と力は薄れ、憑依は解かれ、浄化へ向かうはずだ。
手段が他の目的を生む?目的を探してこの世に残っている?
どうなっているというんだ。
(許せるはずが無い)
こんな状況を何故あのひとは許しているのか。
それとも、知ってしまったからこそ放って置けなくなっているのか……。
そう高耶なら、自分に似たこの人間達を放ってはおけない。
こう考えるかもしれない。
赤鯨衆は"何かのきっかけでこの世に残ってしまった霊"が、新たに目的を得、達成し、浄化するための場所だと。
《調伏》行為に罪の意識を抱き続けた彼が、新たな《調伏》方法として赤鯨衆を受け入れてしまったとしたら……。
しかしそれはあまりにも安易すぎる。
もしこんなことを霊たちが皆、口にしだしたら。
どれだけの憑巫が犠牲になる?自分達が400年で犠牲にしてきた宿体や憑坐の数の何十倍?何百倍?
今すぐ高耶の元へ行って問いただしい気分だ。何をしているんだと。何を考えているんだと。
そうなのだ。
今の自分に必要なのは正義か悪かではない。
自分に言い聞かせるようにして、余計な考えを振り払った。
とにかく今は、早く、速く高耶の元へたどり着くことを考えなければ。直江のしたことで結果赤鯨衆が潰れたとして、そのどさくさに紛れてまた居場所がわからなくなりでもしたら困る。高耶を刺激するようなことだけは避けなければならない。
それだけだ。
考え込んでいた直江が顔をあげたので、天満も改めて向き直った。
「小松に聞いてきたこと、全てを話す」
宣言するように告げた直江に、天満は深く頷いた。
ふたりは施設内へもどって来ていた。
天満の手には小松からの手紙がある。
直江は小松についてわかったことを全て話した。
「ほうか……キケンか……」
株式のくだりについてはあまり理解していないようだったが、ヤクザとトラブっているってことだけはわかったようだ。
が、聞いたところでどうしていいのかもわからない顔だ。
「どがいしたらええ。何かいい案はないかね?」
「揉める前に、小松本人に謝らせて手を引かせるしかない。下手な手段に出て本格的なトラブルに発展すれば、小松だけの問題じゃ済まなくなる。金を追ってこっちにまで押しかけて来るだろう。そうなったら厄介だ」
「……小松も、悪いヤツじゃあないんやきのう。手間のかかる……」
天満が困りきったように言った。
「しかし小松が稼げんようになっちょったら、これからの収入はどうするがか?」
「先のことは後で考えよう。問題は小松にどうやって手を引かせるかだ。あなたの説得に応じるとは思えない」
もちろん直江の説得など論外だろう。手っ取り早く手を引かせる方法はないものか。
「んなもんありゃあせん……」
しかし直江は言う。
「無い訳ではない」
俯いていた天満が顔を上げた。
策はある。だが簡単にはいかない。時間も足りないし、人手の当てもない。
「とにかく金がいる。集めておいてくれ」
直江は覚悟を決めて立ち上がった。
死してもなお残る情熱がこの世に留まらせている訳ではなく、死んだ後に見つけてしまった目的のために生きている。どこかで聞いたような話だ。
しかし相手は換生者ではなく、憑依霊だ。
昼間、天満自身が戦は手段であると言ったように、霊にとって憑依し生活するということは、目的のための手段であるはずなのだ。通常、死に際の想いが弱くなれば、自然と力は薄れ、憑依は解かれ、浄化へ向かうはずだ。
手段が他の目的を生む?目的を探してこの世に残っている?
どうなっているというんだ。
(許せるはずが無い)
こんな状況を何故あのひとは許しているのか。
それとも、知ってしまったからこそ放って置けなくなっているのか……。
そう高耶なら、自分に似たこの人間達を放ってはおけない。
こう考えるかもしれない。
赤鯨衆は"何かのきっかけでこの世に残ってしまった霊"が、新たに目的を得、達成し、浄化するための場所だと。
《調伏》行為に罪の意識を抱き続けた彼が、新たな《調伏》方法として赤鯨衆を受け入れてしまったとしたら……。
しかしそれはあまりにも安易すぎる。
もしこんなことを霊たちが皆、口にしだしたら。
どれだけの憑巫が犠牲になる?自分達が400年で犠牲にしてきた宿体や憑坐の数の何十倍?何百倍?
今すぐ高耶の元へ行って問いただしい気分だ。何をしているんだと。何を考えているんだと。
そうなのだ。
今の自分に必要なのは正義か悪かではない。
自分に言い聞かせるようにして、余計な考えを振り払った。
とにかく今は、早く、速く高耶の元へたどり着くことを考えなければ。直江のしたことで結果赤鯨衆が潰れたとして、そのどさくさに紛れてまた居場所がわからなくなりでもしたら困る。高耶を刺激するようなことだけは避けなければならない。
それだけだ。
考え込んでいた直江が顔をあげたので、天満も改めて向き直った。
「小松に聞いてきたこと、全てを話す」
宣言するように告げた直江に、天満は深く頷いた。
ふたりは施設内へもどって来ていた。
天満の手には小松からの手紙がある。
直江は小松についてわかったことを全て話した。
「ほうか……キケンか……」
株式のくだりについてはあまり理解していないようだったが、ヤクザとトラブっているってことだけはわかったようだ。
が、聞いたところでどうしていいのかもわからない顔だ。
「どがいしたらええ。何かいい案はないかね?」
「揉める前に、小松本人に謝らせて手を引かせるしかない。下手な手段に出て本格的なトラブルに発展すれば、小松だけの問題じゃ済まなくなる。金を追ってこっちにまで押しかけて来るだろう。そうなったら厄介だ」
「……小松も、悪いヤツじゃあないんやきのう。手間のかかる……」
天満が困りきったように言った。
「しかし小松が稼げんようになっちょったら、これからの収入はどうするがか?」
「先のことは後で考えよう。問題は小松にどうやって手を引かせるかだ。あなたの説得に応じるとは思えない」
もちろん直江の説得など論外だろう。手っ取り早く手を引かせる方法はないものか。
「んなもんありゃあせん……」
しかし直江は言う。
「無い訳ではない」
俯いていた天満が顔を上げた。
策はある。だが簡単にはいかない。時間も足りないし、人手の当てもない。
「とにかく金がいる。集めておいてくれ」
直江は覚悟を決めて立ち上がった。
アンディスカバード エクスプロイト
undiscovered exploit